無農薬さくらんぼの記録

<無農薬さくらんぼ作りの実践>


 これはアナログ人間でないとできない領域だ。誰もやらないことなので専門家の研究はない、お手本もない。断片的に存在する有機農業の先駆者たちの言葉や、自然から学んだことを園地でつなぎ合わせて実践するしかない。そんなことなので、路地では大幅な収量減(つまり収入減)、ハウスでは一夜にして全滅(つまり収入ゼロ)した苦い経験をした渡辺氏。病原菌がつけばこの通り)当然、家族からの悲鳴も聞こえてくるので、慎重さが加わり、逆に無農薬へ一歩近づいた。

 温室ハウス栽培では、虫や菌の侵入を完全に防いだり、農薬以外のもので絶滅させて無菌状態を作り出すのではなく、自然環境に近付けるような方法をとっている。虫や菌にも強い果樹に育てるためにも、自家製のもみ酢に魚腸、蟹殻などを混ぜ合わせたものや発酵液などを園地に散布することは欠かせない。この散布にも先人の言葉が活かされている。「かけるのは上↑じゃなくて下↓だろ」と(奇跡のりんごの)木村さんに言われたこの言葉。実践してみると環境がぐぐっと変わったそうだ。

 

足下は緑がいっぱい。雑草があることで病気や害虫が減るという生物多様性の考えが実証されている 土づくりの一環として、クローバーの種を播き増やす(楽しみのため色とりどり3種)。これで豊かな土壌も育まれる。 病気はたった一晩で蔓延する。自家製もみ酢と唐辛子、にんにくを沸騰させ、ハウス内を燻蒸する。


 最近では言葉に少し余裕を感じる。たとえば、花の時期に病気が拡大しそうだったことがあり、どうしたのかと聞くと「食酢と黒酢と玄米酢を混ぜてまいてみた」、「ん、なぜ黒酢?」と聞き返すと、「味が良くなるかもしれない(成分が多いほうが)」と緊急事態だというのに味のことまで考えている。そのほかには、足下には雑草が生い茂っていて腰を下ろして眺めていると、バッタ、ハエ、それぞれ数種類、、、さらには大きな毛虫まで。思わず足で潰そうかと思ったのだが、念のために聞いてみると意外な答えが。「ここにいれば大丈夫、この時期ならもう上に登って食べないはず。こっちの幼木のところにいたら、ナンマイダブ(合掌)だけど(笑)」と。誰も経験したことのない無農薬さくらんぼ栽培ゆえの"被害と許容範囲の見極め"。これがわかりはじめているようで仙人的なオーラを感じてしまう。

 それでも心境を尋ねてみると「毎日こうして(腕を組んで花や葉についた病気や虫害とにらめっこ)まだ大丈夫だよなって見るだけ」「もう我慢して我慢して我慢(笑)」と言う。家を空ける日が数日あったときなどは「心配で心配で、もう胸がキューンとなる感じ。」なんだそうだ。こう聞いていくと、やはり「自分にとってはさくらんぼの樹は恋人や子供のようなもの。」という言葉が本当なんだなと思いきり頷ける。

今年はカメムシが実の汁を吸っているのを発見。先人の知恵から、杉の葉をいぶしてみると、、、。 今年はこの方法で活動が弱まり、大被害を間逃れる。あとは目を凝らし、被害を許容範囲にまで落とす。 座って見渡すだけで虫が多い殊に気づく。大食感の毛虫がいることを知らせると「ここなら大丈夫」と言って退ける。


 路地栽培でも無農薬へ近づきつつあり、「木村さんの栽培方法は人が真似できないようなレベル。自分は、先輩農業者たちに教えてもらいながら、みんなが取り組める農法を確立したい」と地域の仲間も大切に考える。「このあたりは山の中なのに清水が飲めない。おかしいでしょ、理想を言えば、ナウシカの谷みたいにしたいよね」と続く渡辺さん。

 こういう生産者に会うといつも、無農薬だからよい、1回使ったらダメ、という物差しにではなく、その人の持つ情熱自体に大きな価値を感じる。そもそも渡辺さんのさくらんぼは「無農薬」がつく以前に「最高級」として世に出ていることを忘れていた。次に園地へ行くときには、あの大将木のさくらんぼをひと粒だけでも味わいたい。